3. 近年のカントリーサイドへの関心の高まり

 カントリーサイドの伝統的イメージは、貴族と淑女がカントリー・ハウスの庭で語っている、あるいは農民たちが明るく活気に満ちて作業に従事している、その背景にはオークやエルムの木立、緑の生け垣で囲われた耕作地や牧草地の広がる丘陵がある、といったものだろう。しかし、18世紀から19世紀のカントリーサイドは、ごく少数の大土地経営者以外は、囲い込みによって閉め出された小さなコテージに住む貧しい農場労働者からなっていた。彼らはカントリーサイドを離れ都市へと向かった。今日では、カントリーサイドは都市化によって蚕食されながら、より大規模な企業的経営が展開されている。いずれにしても「なつかしさ」が想い起こされるようなイメージとはかけ離れている。にもかかわらず、現在もなお伝統的なカントリーサイドのイメージは強く生きている。

 今日、ナショナル・トラストはしばしば大きなカントリー・ハウスの保護者と考えられている。しかし、二つの例外を除いて1930年代までは、歴史的に重要な場所とは古い郵便局のような小さな建物を意味していた。ところが、カントリー・ハウスの所有者ジェントリにとって、経済基盤であった大農場経営の衰退・地代収入の低下は、その邸宅と地所の維持を困難した。こうしたなかでナショナル・トラストは1936年、カントリー・ハウス委員会を設立して、その保存活動にも取り組むようになった。現在、ナショナル・トラストの大規模な有料施設の多くは、カントリー・ハウスとそれに付随する庭園などの地所である。一般に公開されたナショナル・トラストの施設は1996年度には263あり、のべ1162万人が訪れた7)。

 ナショナル・トラストは、イングランド・ウェールズ・北アイルランドにおいて、1997年現在、200余の歴史的建造物、230余の庭園、25余の産業記念物の保護と一般公開をし、24万haをこえるカントリーサイドと880kmの海岸線を所有している8)。ナショナル・トラストはイギリス最大の私的土地所有者であり、後期ビクトリア時代のイングランドの価値観を反映しながら、カントリーサイドの保護組織として、最も重要な役割を果たしている。また別組織として1931年に設立されたスコットランドのナショナル・トラストも、7.5万haのカントリーサイドと100余の施設を管理し、スコットランドのカントリーサイドの保護について主導的な立場にある。

 近年のカントリーサイドへの関心の高まりは、ナショナル・トラストの会員数の増加に顕著に現れている。第1表に示したように、会員数は1971年には28万人であったが、その後の10年間で3.8倍になり、続く1981年からの10年間でも2.1倍の伸びを示した。さらに1995年までに会員数は約230万人を数えるにいたった。ナショナル・トラストはイギリス最大の民間組織である。それだけでなく、スコットランドのナショナル・トラスト、王立野鳥保護協会、ワイルドライフ・トラストといった他のカントリーサイドの保護にかかわる組織も大きく会員数を伸ばしている。おおむね1970年代の会員数の増加率のほうが高いものの、1980年代もその傾向が続いたこと、1990年代になると鈍化傾向を示すことがわかる。とはいえイギリスでは、いまや十人に一人がこのような保護組織の会員となるほどに高い関心が示されているのである9)。

 また写真1に示すように、書店には『ディス・イングランド』、『ザ・フィールド』、『カントリー・ライフ』、『カントリーマン』、『デイルズ・マン』、『カントリー・オリジンズ』といったカントリーサイド関連の記事や広告を売り物とする雑誌が並ぶ。また『ヘリテージ』(No.77, 1997)の巻頭特集には「ハーディ・カントリー」の案内が掲載されている。「ハーディ・カントリー」とは、ドーセットの農村を舞台に小説を書いた作家ハーディの名を取って、観光宣伝用につくりだされた空間である。

 このようなカントリーサイドやヘリテージという伝統に最も関心を持っているのはサービス階級だといわれる10)。ここでいうサービス階級とは、1970年代以降、労働者階級に代わって文化的に影響をもつようになった、管理職や専門職に就くグループのことである。彼らは教育とメディアに高い関心をもち、それに従事しているものが多いという特徴をもつ。

 サービス階級がカントリーサイドやヘリテージという伝統を求める理由を、スリフトは以下のように論じる。第一に、経済・社会が急速に変化するとき、伝統は文化的結合を生み出す。カントリーサイドは現実のコミュニティが壊れていくようにみえるとき、戻るべき過去の想像上のコミュニティを提供する。第二に、彼らの価値観でもある消費文化に適合する。最近の商品はカントリーサイドに示唆される、「ナチュラル」であることが最も賞賛され消費の対象となる。さらに伝統と消費文化の融合は、イギリスが観光産業への依存を高めていることでさらに加速される。第三に、こうした傾向がサービス階級の成長ともつながる。自分たちを明確にし他者を排除する方法として、伝統が使われる。こうした伝統への適応の副産物は、新しく形成されたサービス階級にとって、正統への近道を提供することである。これは、カントリー・ハウスの価格の高騰などにも現れている。

 この議論には、都市中産階級によってカントリーサイドが賛美されたビクトリア時代のものと類似の構造がみられる。しかし、現在はより大きな社会現象となっていると考えられる。それはカントリーサイドへの人口の環流が顕著なことにみられる。イングランドの1971年から1995年にかけての人口変化をみると、農村地域が21.0%増であるのに対し、それ以外の地域は0.5%増にとどまっているのである11)。

 カントリーサイドへの移住がかなわなければ、休暇旅行でナショナル・パークやカントリー・ハウスなどをツーリストとして訪問することで代償することになる。カントリーサイドを訪れるツーリストの種類は比較的特権的なものである。そういうステータスを手に入れるためには、普通、白人で、自動車を所有し、宿泊施設を準備・購入できるだけ裕福である必要があるという12)。しかしたとえ経済的条件があったとしても、エスニック・マイノリティは、伝統的なカントリーサイドに対するノスタルジアを共有していないし、そこへ行くことに価値を見出しえないともいえよう。

 この点を傍証するため、ピーク・ディストリクト・ナショナル・パークで撮影した4枚の写真をみておきたい。写真2は、朝のナショナル・パーク・インフォーメーション・センター前の賑わい。小さなインフォーメーション・センターながら展示パネルも工夫されており、地図やガイドブックが揃えられている。人々はお茶を飲みながら情報を収集し、1日のコースを検討する。写真3は、パーク内の道路脇の駐車場に車を停めて、ハイキング・サイクリング・ピクニックにでかける準備をしている人々。サイクリングは人気スポーツで、自転車を積んでいる車はよく見られる。写真4は、ナショナル・トラストが管理するビュー・ポイント、マム・トーからの風景を楽しんでいる人々。ここは駐車場からの遊歩道も整備されており、子ども連れでも容易に歩くことができる。その一方で、本格的なハイカーも多いところである。写真5は、ツーリストに人気のあるティッシントンのメイン・ストリートの様子。ここは井戸装飾の民俗儀礼で有名な小さな村で、石灰岩でつくられた美しい家々、ゆったりした緑地が魅力となっている。写真2〜4にみられるツーリストは大半が白人である。写真3・5にあるようにカントリーサイドでの移動手段に自動車は欠かせない。

写真2 写真3

写真4 写真5


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