序章

 都市と村落を対比する場合、村落は農林漁業をおもな生業とした人々が居住する地域といえる。しかし、今日の日本では、都市化と過疎化によって村落は著しく変容し、多くの経済活動の場が村落から都市へと移行し、生活様式の都市化も進行した。けれども、景観的にみれば、家屋密度の低さ、農地や林野の広がりなどによって、村落は識別されうる。

 村落空間を構成する、定住の場である集落、農業生産の場である耕作地、採集活動の場である林野や漁場という一定の領域は、家を単位とした村落社会によって自律的に管理されてきた。さらに、行事や祭祀などのさまざまな契機に村落社会は顕在化し、それによって村落空間は間主観的に意味づけられてきた。

本書は、社会地理学や文化地理学において模索的な状況にある方法論の検証の場として村落に着目する。これは、ある意味では村落という場が最小の地域単位であり、さまざまな地域研究の試みには、村落が格好の対象となりうると考えるからである。本書では、対象をより深く分析することによって、それぞれの事象の複雑な関係を読み取り、村落社会と村落空間との相互作用を明らかにし、村落研究の可能性を探っていきたい。

 そこで、まず、明治期以降の地理学を中心とする村落研究史について、簡単に記述しておく。
 村落研究における先駆者として、新渡戸稲造(1862〜1933)があげられる。明治31年(1898)出版の『農業本論』には、村落の起源と形態に関する独自の論述がみられる。明治40年(1907)の講演では、その研究内容として、地名、家屋の建築法、村落形態、土地の分割法、言語・方言を取り上げ、実証的な村落調査を啓蒙した。こうした研究を新渡戸は「地方学」と呼び、ミクロな研究を積み重ねれば、一国のあり方を理解できると考えていた。彼自身によって「地方学」は大成されることはなかったが、「郷土会」の活動をとおして、小田内通敏(1875〜1954)・柳田國男(1875〜1962)らに大きな影響を与えた1)。

明治43年(1910)設立の「郷土会」は、小田内通敏や柳田國男が中心となり新渡戸宅で開催された研究会である。大正7年(1918)には、村落調査項目を作成し、内郷村(現在の神奈川県相模湖町)において総合的な学術調査を実施した。同年、小田内は、近代化にともなう社会変化を圏構造的に捉えた『帝都と近郊』を刊行、その後も『聚落と地理』(1927)や『郷土地理研究』(1930)の出版をはじめ、精力的な活動を続けた2)。

 そして、昭和初期以降、小田内通敏、綿貫勇彦(1892〜1943)、佐々木彦一郎(1901〜1936)らの研究によって、村落地理学は人文地理学のなかで重要な位置を占めるようになった。そこでは、村落の起源と形態に関する考察が主流で、歴史地理学研究や図上計測を主体とする形態論的研究が展開された。ドイツ景観論を摂取した綿貫の『聚落地理学』(1933)が、その代表作としてあげられよう3)。その一方で、佐々木の『村の人文地理』(1933)のように、村落の生活や文化への関心もみられた4)。こうした研究は、ドイツ・フランスの地理学研究を積極的に導入した人々によって進められ、第二次大戦前の郷土研究の高まりとも一致し、多くの事例研究を生み出した。

 戦後になると、都市と村落の双方を対象とした木内信蔵・藤岡謙二郎・矢嶋仁吉編『集落地理講座4巻』(1957〜58)や矢嶋仁吉『集落地理学』(1956)、歴史地理学的なアプローチによる米倉二郎『東亜の集落』(1960)や村松繁樹『日本集落地理の研究』(1962)などによって従来の研究が集大成されるとともに5)、村落地理学研究は、機能論の視点に立つ研究への展開が図られた。その代表的テキストとして、喜多村俊夫・榑松静江・水津一朗『村落社会地理』(1957)があげられる6)。さらに、水津一朗の『社会地理学の基本問題』(1964)や『社会集団の生活空間』(1969)によって、最小の地域統一体としての基礎地域論が展開された7)。それは、社会集団のよってたつ場である生活空間の理論的考察を進めるものであった。また、石原 潤8)、浜谷正人9)、橋本征治10)らによって、社会集団の空間的配置に関する考察が行われた。

 しかし、高度経済成長期以降、都市に対する関心が圧倒的な高まりを示したなかで、村落地理学研究は、伝統的な村落の崩壊ないしは残存が主な対象とされ、停滞傾向が指摘されるようになった。これは、村落の形態や機能に関する従来の研究が皮相的であったために、新たな展開ができず、変化した村落像そのものを追求するのでなく、個別の変化のみを追うという分解の方向をたどざらるをえなかったことによる11)。すなわち、村落研究が伝統的方法論を踏襲したままで、それに関する議論の展開がみられなかったことに、衰退といわれる要因があったと考えられる。それは、村落社会と村落空間の相互規定性が、フィールドのなかで捉えにくくなった過程でもあったと思う。例えば、浜谷正人『日本村落の社会地理』(1988)では、村落研究それ自体の独自性は減退しつつあり、従来の村落地理学に拘泥せず、社会地理学の一分野として村落研究を位置づける方が建設的であるとしている12)。

 そうしたなか、1970年代後半から、社会地理学や文化地理学における方法論的な議論をふまえつつ、次第に新たな村落研究への取り組みが行われるようになってきている。これらは歴史学、文化人類学、民俗学、農村社会学、建築学など関連領域の研究13)に呼応しながら展開した。以下、若干の研究例をみたい。

 山野正彦は、同族集団やカミ祭祀、小地域集団の名称などから、社会集団と村落の空間形態との関係、村落景観のシンボル性について考察した14)。八木康幸は、行事や儀礼、村境などの分析を通じて、村落社会と空間との関係、場所の意味や空間の象徴性を論じた15)。島津俊之は、社会集団の空間的配列形態、社会集団による村落空間の意味づけとその構造化について考察した16)。大城直樹は、集落の諸事象を場所のパーソナリティーとして記載し、祭祀施設と社会集団との関係から村落景観の社会性を論じた17)。今里悟之は、景観要素としての宗教施設と社会集団の関係、言説の解釈による空間の意味の抽出という課題を考察した18)。これらの研究は、さまざまな方法論的関心に基づくが、事例研究によって、その有効性を検証しようとしているところに特色がみられる。

 このような研究は、ある意味で、伝統的な村落像を読み解こうとするものである。しかし、現代の村落では、外部経済との結合や地域政策・地域計画の浸透によって、共同作業などムラが自律的に果たしてきた機能や農林業に依拠した生産の機能は縮小している。そこでは、都市通勤者の居住地、環境保全、観光レクリエーションなどの場として、再編成が進んでいる。

 そこで、今日的な課題である、混住化した近郊農村や過疎化の進んだ山村を対象とした研究が、地理学においても、高橋 誠19)、藤田佳久20)、篠原重則21)、岡橋秀典22)などによって蓄積されてきた。これらでは、実証研究に基づき近郊農村や過疎山村の実態を把握し、研究の枠組みについても模索されている。また、景観と農外就業(通勤・日雇・出稼・自営)の類型化によって、日本の農村空間のパターンを抽出する試みも行われた23)。

 本書では、上述した近年の動向をふまえ、村落社会による空間形成の過程とその空間構成が村落社会に与える作用を読み解くことを念頭に置きつつ、以下の具体的なテーマを取り扱う。それでは、本書の構成と各章の目的を概観しておきたい。

 第1部は、土地の人々が自らの村落空間をいかに認識しているのか、それを支える背景は何かという課題を考察する。すなわち、主体的に認識された村落空間と客観的に捉えられる村落空間の双方を分析し、さらに両者のつながりを探求した論考からなる。

 第1章「地名研究の視点とその系譜」では、以下の事例研究において、分析の鍵となる小地名の研究に焦点をあてて、その研究史と分析の視点について述べる。

 第2章「民俗資料からみた村落の土地利用と空間認識」では、村落の環境を空間的に把握する手法について、民俗資料を中心として論ずる。民俗資料とは何かという問題をふまえたうえで、地名や伝説・伝承の分析によって、土地利用と空間認識の関係について探る。

 第3章「尾張平野における村落構成と空間認識」では、混住化の進んだ村落と進んでいない村落を取り上げ、土地の人々が空間をどのように認識しているのか、アンケート調査から明らかにし、村落の空間構成とのかかわりを検討する。

 第4章「吉野林業地域の村落結合と領域認識」では、村落相互の自生的な結合と制度的に設定された地域がどのように関係しているのかを考察し、さらに、実質的なまとまりをもつ川上村を事例に、土地の人々の領域認識のあり方と村落の空間構成について分析する。

 第5章「山村社会の空間構成と地名からみた土地分類」では、土地の人々による小字地名の使用度を明らかにするとともに、主体的な認識の体系である固有の土地分類のあり方を、小字地名の語彙を分析することによって明らかにする。

 第6章「焼畑山村における林野の社会的空間構成と主体的土地分類」では、地名という語彙化されたラベルを手がかりに、土地の人々が経験的に獲得した機能的側面からみた土地分類を明らかにし、それが林野の社会的空間構成とどのようにかかわっているのかを探求する。

 第2部は、変化の著しい山間地域を対象に、近代化の進展とともに村落社会と村落空間がどのように変容したか、さらに両者はいかなる関係をもつのか、その実態を考察した論考からなる。

 第1章「近代日本における山村研究の視角と山村概念について」では、山村が調査や研究の対象としてどのように捉えられてきたのかを明らかにするため、明治期から過疎化が顕著になる前までの山村研究史の整理を試みる。

 第2章「奈良県榛原町における村落社会の地域分化」では、大都市圏の外縁部に位置する榛原町を取り上げ、集落の立地条件、人口構成・人口規模を検討しつつ、村落社会が地域的にどのように分化して、変容しているのかを解明する。

 第3章「群馬県六合村における過疎化とその地域的差異」では、六合村を事例として、人口構造の変化には集落単位でどのような地域的差異があるのかを明らかにし、さらに事例集落を選定して、世帯単位での人口移動の実態を分析し、世帯が維持される要因を考察する。

 第4章「福井県今庄町における過疎化と林野利用の変容過程」では、薪炭不況を契機に過疎化が進んだ今庄町の2村落を事例として、明治期以降、林野利用と林野所有の関係がどのように変容したのかという点に着目しつつ、過疎化のプロセスを明らかにする。

 第5章「奈良県曾爾村における林野所有と林野利用の変容過程」では、入会林野の残存した曾爾村を事例に、入会林野と私有林野の二つの領域における明治期以降の林野所有と林野利用の変容過程を統合的に分析し、林野をめぐる社会と空間の相互作用を考察する。

 第6章 「群馬県川場村における都市との交流事業による地域活性化」では、交流事業によって注目されている川場村を事例として、交流事業の経緯と村落社会に与えた影響を検討し、景観保全のあり方と山村の地域活性化のための条件を探求する。

 このように、本書は、具体的な問題に即して実証的研究を積み重ねること、それによって、村落研究の多様な可能性を探ることを目的としている。

  [注]

1) 関戸明子「新渡戸稲造の『地方学』とその村落研究の思想」、奈良女子大学文学部研究年報34、1991、68〜88頁。
2) 関戸明子「昭和初期までの村落地理学研究の系譜−小田内通敏の業績を中心に−」、奈良女子大学地理学研究報告IV、1992、167〜191頁。
3) 綿貫勇彦『聚落地理学』、中興館、1933、254頁。
4) 佐々木彦一郎『村の人文地理』、古今書院、1933、178頁。
5) 木内信蔵・藤岡謙二郎・矢嶋仁吉編『集落地理講座4巻』、朝倉書店、1957〜58、419頁、368頁、443頁、460頁。
 矢嶋仁吉『集落地理学』、古今書院、1956、394頁。
 米倉二郎『東亜の集落』、古今書院、1960、356頁。
 村松繁樹『日本集落地理の研究』、ミネルヴァ書房、1962、422頁。
6) 喜多村俊夫・榑松静江・水津一朗『村落社会地理』、大明堂、1962、231頁。
7) 水津一朗『新訂 社会地理学の基本問題−地域科学への試論−(増補版)』、大明堂、1980、248頁。
 水津一朗『社会集団の生活空間−その社会地理学的研究−』、大明堂、1969、455頁。
8) 石原 潤「集落形態と村落共同体―特に讃岐の事例を中心に―」、人文地理17−1、1965、38〜64頁。
9) 浜谷正人「農村社会の空間秩序とその意義―主として小村の場合を事例として―」、人文地理21−2、1969、135〜159頁。
10) 橋本征治「散居村における社会構造の地理学的研究―砺波における事例―」、人文地理21−6、1969、547〜574頁。
11) 青木伸好「村落変化の研究動向と問題点」(浮田典良編『日本の農山漁村とその変容』、大明堂、1989)、9〜21頁。
12) 浜谷正人『日本村落の社会地理』、古今書院、1988、2頁。
13) 例えば、次のものがある。
 木村 礎『日本村落史』、弘文堂、1983、359頁。
 村武精一『祭祀空間の構造−社会人類学ノート−』、東京大学出版会、1984、239頁。
 福田アジオ『日本村落の民俗的構造』、弘文堂、1982、368頁。
 川本 彰『むらの領域と農業』、家の光協会、1983、409頁。
 樋口忠彦『日本の景観−ふるさとの原型−』、春秋社、1981、269頁。
14) 山野正彦「丹波山地における村落の空間形態とその内部構造」、人文研究28-2、1976、23〜53頁。
 山野正彦「分類体系としてみた村落の空間構成−丹波・吉備高原地域を事例として−」、人文研究29-6、1977、1〜23頁。
 山野正彦「村落の文化地理」(大島襄二・浮田典良・佐々木高明編『文化地理学』、古今書院、1989)、293〜318頁。
15) 八木康幸『民俗村落の空間構造』、岩田書院、1998、317頁。
16) 島津俊之「村落の空間的社会構造とその変容−京都府宇治田原町禅定寺地区の事例−」、人文地理38-6、1986、544〜560頁。
 島津俊之「村落空間の社会地理学的考察−大和高原北部・下狭川を例に−」、人文地理41-3、1989、195〜215頁。
17) 大城直樹「亜熱帯島嶼の集落立地と生活様式−八重山群島・小浜島−」、人文地理42-3、1990、220〜238頁。
 大城直樹「村落景観の社会性−沖縄本島北部村落の祭祀施設の場合−」、歴史地理学159、1992、2〜20頁。
18) 今里悟之「村落の宗教景観要素と社会構造−滋賀県朽木村麻生を事例として−」、人文地理47-5、1995、458〜480頁。
 今里悟之「村落空間の社会記号論的解釈とその有効性−玄界灘馬渡島を事例として−」、地理学評論72A-5、1999、310〜334頁。
19) 高橋 誠『近郊農村の地域社会変動』、古今書院、1997、279頁。
20) 藤田佳久『日本の山村』、地人書房、1981、271頁。
 藤田佳久『日本山村の変容と整備論』、地人書房、1998、310頁。
21) 篠原重則『過疎地域の変貌と山村の動向』、大明堂、1991、330頁。
22) 岡橋秀典『周辺地域の存立構造−現代山村の形成と展開−』、大明堂、1997、401頁。
23) 山本正三・北林吉弘・田林 明編『日本の農村空間−変貌する日本農村の地域構造−』、古今書院、1987、423頁。